頭ではわかっている話。
水を摂る大切さ。 
でも、水を飲みに行くのはサボりだ!とされていた熱血スポーツ時代を生きた自分には、一日コップ一杯の水を摂ることもしていなかったのが現実で、体もその少量の水で何とか耐えていてくれていたのだと思う。
SOSを出しながら。

年末に、体のメンテナンスをしようと、
初めて整体へ行くことにした。
30年以上続く頭痛は、気にも留めないほど、私の中では当たり前のもので、ピアノの練習をする中で頭がスッキリしなかったり、楽譜が頭の中に入っていかない苦悩は、歳を重ねるとこういうできないと感じるものが増えていくのだろうかと、あっさりそれを受け入れてしまっていた。
性格上、そういうものなんだなぁ…と、ある意味絶望感を抱くことも無く、さらりと自分の中に取り込んでしまうので、ジタバタすることも落ち込むこともなかった。
整体へ行くと、丁寧に体の状態を聞いてくださり、「あー頭痛は水不足が多分原因ですね。」。
ここから、水の大切さを改めて考えさせられる訳で、単純な私は帰りに絶対水を買って飲みながら帰ろうと誓うのだった。
さて、整体後は、ひたすら飲めなかった水を意識的に飲むようにしている。
今では一日2リットルぐらいとっている。
頭痛はというと、嘘のように消えてしまった。あれだけ共にした頭痛…頭の痛くない自分の体に慣れなくて、頭痛を求めてしまうというとおかしな表現だが、痛くなろうとする気配はある。でもあれから、不思議と頭痛は起きていない。そして、頭の中がスッキリしているものだから、ピアノを弾いていても譜面がしっかり入っていく。
どうしても癖というものがある。
それは知らぬ間に自分の中に住みついていて意識しないとなかなか離れられない。
 水をたくさん飲むことで得た体の喜びは、実際、私の中ではまだ不思議な存在。 
折り返し地点で、目から鱗の物語。
まさかの頭痛なしの生活を水分と一緒に得てしまったのだから、スバラシイ!!
水の大切さを知ると同時に、今までの過酷な水分不足の生活は、オカルトそのものだ。
よくぞ頑張っていてくれたと思う。
頭痛がなくなっただけでは無く肌にハリも出る。
外から高級ないろんなものを塗るより、内側から水分を補給する方が私にはどうやら意味がありそうだ。  
人間の体は、水分でできていると聞く。
摂った水分を老廃物としてどんどん外に出し体内の水分の淀みを減らしていくこの作業は、いとも簡単にメリットを生む。
まるで人間社会と同じような現象だ。
淀んでいいことはない。
今更だけど。
へぇー水ってこんなにも大切なものだったんだなぁと実感。というか痛感。
まだ調子がいいことに慣れていない自分がいるけれど、明らかに好調だ。
本日もメンテナンスの日。
やる気に満ちていたりする今日この頃。
ありがとうお水。



Lákura

1919年。札幌市すすきのの片隅で「質屋」として建てられた。2010年初夏。 煉瓦のグラデーションが美しいこの蔵は、Lákura分室としてオープンし、104年経った。(2003年新札幌でLákuraはオープンし、今年20周年を迎えた。)蔵ノ中デ宝サガシ。 服と食と音楽と♪ ビーフシチュー。今日も、笑い声とともに。 長屋的selectshop Lákura 。あなたの暮らしに寄り添えますように。